今回は私が何故自分の卒業した大学を選んだかについて書いていきます。
大学名を公表してもいいのですが、有名な大学でもなく、聞いても『?』が付く人もいるので、大学名は公表しません。
これまでのブログ(↓のブログを参照)を読むと、大学が絞られてしまうので、予想されてしまうかもしれません(笑)
今回の記事内容
- 高校生の頃は内申点しか良くなかったポンコツ
- とある教授との出会いで大学を決める
- 大学で得たもの
高校生の文理選択
私が高校生の頃、理系か文系かで文理選択がありました。
高校1年生からあまり日本史や世界史が得意でなく、どちらかと言えば化学や数学の方が得意でした。
そのため、理系に進むことを考えていました。
理系の中でも生物や化学が得意だったので、理学部か生物よりの理工学部に進学した方が良いと考えていました。
数学は普通くらいだったのですが、物理は全くダメでした。
大学の講義で物理の内容も勉強することになるので、もう少しちゃんとやっておけばよかったと後悔しています。
高校生の頃の内申点
小学生の頃から内申点(通信簿の成績)は高い方が良いからと親から言われていました。
小さい頃から親の言うことを純粋に従っていたので、高校生になっても親の言うことに従い、内申点は比較的高かったです。
高校生になると、親から指定校推薦で大学に進学することを高校1年生の頃から言われていました。
高校生にまでなって、自分の頭で考えられないのは自立ができていないことです。
今、振り返ってみると本当に馬鹿だなと思っています。
高校3年生になると進路のことについて真剣に考える必要があり、どうしようかと考えていました。
内申点が比較的高かったので、指定校推薦で大学に行くことしか頭にありませんでした。
寧ろ、親から指定校推薦で進学するように洗脳されていたので、そのようにしか考えられませんでした。
私が進学しようと考えている大学は理学部か理工学部でしたが、ほとんど指定校推薦がありませんでした。
このままだと、ただ内申点が高くすることだけに頑張ってきたで、他には何も意味がなくなってしまいます。
私は勉強を本当にサボってきたので、模試など点数は壊滅的でした。
大学のオープンキャンパス
大学1年生から生物や化学が得意だったので大学のオープンキャンパスには理学部と理工学部を中心に見ました。
正直、私が行ったオープンキャンパスにはどれも魅力的に感じる大学はありませんでした。
ただ単に、自分がやりたい内容が決まっていなかったので、どの大学のオープンキャンパスに行っても魅力的に感じませんでした。
また、人混みの中にあまりいたくなかったので、どの大学も30分程度しか滞在しませんでした。
色々なオープンキャンパスに行きましたが、有名大学には2度と行かないと決めた嫌な出来事がありました。
とある有名大学のオープンキャンパスで、大学の教授と高校生とで1対1で相談することができるスペースがありました。
私が『このような内容はこちらの大学で学ぶことはできますか』と聞いたら、
『あー、その内容はやってない』と言って、その大学の教授が持っていた本を私の目の前で読み始められました。
一応、『有り難う御座いました』と言いましたが、その教授は何も言わずにずっと本だけを読んでいました。
『有名大学だから何もしなくても人が来るからそんな態度をとるのかよ。こっちから願い下げだわ』と感じた大学が1校だけありました。
とある教授との出会い
そんな時に何で知ったかは忘れましたが、夏に自分が卒業した大学の存在を知りました。
それまでは、自分の卒業した大学のことは何1つ知らず、そんな大学あるんだ程度でした。
オープンキャンパスがやっていた日は模試の日と被っていたため、親が私の代わりに行ってもらいました。
この時期にはどのような内容の勉強をしたいのかが決まっていたので、親に私がやりたい内容のメモだけをわたしました。
親は大学の教授と相談するところで、私のメモを直接わたしたらしく、そしたら
私の親に『この子のメモに書かれている内容に興味があるから、明日、私の研究室に来ることはできますか』と声を掛けてくれたのです。
こんな嬉しい機会はなかなかないと思い、次の日にその教授にお会いすることができました。
そこで、『AO入試を受けなよ』と勧められて、その場で入試の志願書か何かを書きました。
志願書 (?)の締切がその当日であり、急いで書きました。
試験日は1ヶ月を切っており、猛勉強しました。
この大学しか自分にはないと思い必死に勉強しました。
今までサボってきた自分に幸運のチャンスが来て、このチャンスを逃すわけにはいかないとずっと思っていました。
試験日~合格発表
試験日は筆記試験と面接が試験内容でした。
やはり、こういう試験では緊張しますが、何とかやり遂げることができました。
帰宅までの帰路が長く感じました。
1週間後、合格通知の手紙がポストに入っていました。
正直、嬉しくたまらなかったです。
当然、高校に報告しなければいけないので、次の日に高校に報告はしました。
一応、高校の先生からは『おめでとう』とは言われましたが、半分驚き、半分疑いの感じで祝福されました。
高校の先生からは模試の成績が悪かったので、まさかこの大学に受かるとはもっていなかったという感じの反応でした。
自分の大学で得たもの
私は自分の大学に入学できたことは運が良かっただけかもしれません。
また、自分の大学で臨床検査技師の資格も取得し、臨床検査技師として勤務することができています。
もし、自分の大学と出会えなかったら、浪人生として他の大学を受けていて、今よりも最悪な人生を送っているかもしれません。
それほど、私の学力は低く、どうしようもない人間です。
自分の大学を卒業することができて本当に良かったです。
高校では学ぶことができない内容や自分で対処しなければいけない出来事など多くの事を学ぶことができました。
大学の学食が安くて、不味くない、学生実験で助け合う仲間がいることなど多くのことを経験することができました。
就活では大学受験とは異なり、平等ではなく、自分の努力ではどうにもならないこともあることを知ることができました。
何よりも、こんな私にAO入試の受験を勧めてくれた教授には感謝しきれない気持ちでいっぱいです。
まとめ
私は高校生の頃は模試の成績が悪く、どこの大学にも入学することが難しい状況でした。
大学のオープンキャンパスに行ってみても自分の興味のある学科などはあまり見つからず、寧ろ最悪な経験をしました。
しかし、とある大学教授との出会いがきっかけで大学に入学することができました。
二度とこのような機会に出会うことができないと思っていました。
自分の大学に入学卒業することができて良かったです。